motorcycle memories(中・大排気量編)

ビリーのムーンライトタイムズは、毎月FMみっきぃにて、第1・2土曜日 24:00~ 翌日 日曜日25:00~オンエア!!

 

万年貧乏一人暮らしだった私の足は、原付が主でしたが、ある日、地元の友人と大学の友人が合流して、外食をする機会がありました。私はとある友人の車に乗って、バイク2台を追う形で移動となりました。 そのバイク2台はその日初対面となる2人でしたが、信号待ち毎で並んで話をしている姿に、何やらわたしの中でスイッチが入るような感覚を覚えました。当時バイクブームもありましたが、22歳でようやく中型二輪免許を取る決意がつきました。 久しぶりに通う自動車教習所は、やたら新鮮で毎回ワクワクしていたことを記憶しています。

 

HONDA JADE250

免許を取っている最中も、貧乏一人暮らしの私がそれなりのバイクを手に入れるには、正規のバイクショップを巡るよりも、友人ののネットワークで個人売買によるほうほうしかありませんでした。(まだネットオークションも身近ではありませんでした) その頃には大学やアルバイト先やら、人生で1番と言えるほど顔の広い時期だったので、とある友人の地元の知り合いが、盗難にあって帰ってきたバイクを修理しようとして放置したままになっている車両を格安で譲ってくれるという話があり、飛びついたのでした。ヘッドライトがもぎとられた「HONDA JADE 250」がそれでした。 幸いアルバイト先に元バイク整備士もいたので、ガレージに落ちていたヘッドライトを無理矢理つけて、私のファーストマシンとして生まれ変わりました。 当時、実家に帰省の際は電車を利用していましたが、免許の取得もバイクの入手も秘匿しており、真冬のバイト終わりに高速も使わず(貧乏だったため)43号線をひたすら走って地元まで帰り着いた時の高揚感は、死ぬまで忘れることはないと思います。

 

Kawasaki ゼファー750

JADEを愛車にしてしばらくして、通学の足から通勤の足として、どこに行くにもバイク生活が続いていたある日、道明寺の交差点で車に巻き込まれる事故に遭ってしまいます。それを機に次は大型二輪免許の取得を始めます。 20歳の頃からすでに「いつかはKAWASAKI Z1」と決めていた私。しかし、現在もZ1は高騰中ですが、当時すでに高額な旧車として名を馳せていました。 そんな折、東大阪の某バイクショップで出会ったのがKawasaki ゼファー750でした。Z650直系の空冷750ccエンジンを搭載し、Z2を意識したデザインに惚れ込み気合いの36回ローンを組むこととなりました。(後にも先にも借金はこの時のみw)結果、11年の長い期間乗ることとなり、事故やカスタム、「真冬の関東下道キャノンボール」と様々な思い出を残すこととなりました。 バイク仲間も増え、ガレージを持つ友人ができ、相当なDIYカスタムを経て、現在では主流になりつつあるゼファーベースのZレプリカを低予算で組み上げることになりました。 後に売却することになりましたが、数ヶ月後の「Mr.バイク」誌にて横浜の某カスタムショップの広告にこのマシンがえげつない価格で載せられていました。

 

HONDA shadow400

大阪時代のアルバイト仲間の親交は続いていて、ある日美容師をしている友人が、金欠のためバイクを買って欲しいと連絡をしてきました。 学生時代がスティードを筆頭に空前のジャパニーズアメリカンブーム(この呼び名には未だ抵抗がありますが・・)もちろんクラシックアメリカンに飛び付きました。ただし、路上で駐輪されていたこの車両は、塗装のクリア部分がめくれてしまい、見るも無惨な状態でした。(譲渡価格は唖然とするほど安かったです。) 車検を通し、マフラーを交換し、意を決して知り合いの板金屋さんに全塗装を依頼しました。薄いメタリックブルーの単色でよりクラシカルな雰囲気となり、この後もしばらく姫路バイパスを緩く流すのに乗っていました。

 

YAMAHA V−MAX

あることがきっかけで、2台も場所を取るバイクを売却し、1台にまとめることになりました。大型二輪免許を取って10年を越えリッターバイクを選択し、これまたなぜか入手しやすい価格で憧れのV−MAXを手に入れました。 はい、男臭いマシンにしか乗っていません。 噂の通りV4・1200ccエンジン、直線番長。コーナリングでは急激なヘタレ減速。見た目と直進性能は良かったのですが、運転技術は追いつかず、約3年ほどで手放すのでありました。

 

Harley-Davidson XL1200L

これまたあることがきっかけで、V−MAXでツーリングをした豊岡のショップで、憧れのハーレーに手を出してしまいます。V−MAXを下取りに、思ったほどの追い金もなく、入手することができました。 何に驚くかというと、ツーリンングのいく先々ですれ違う・追い抜いていくマシンがことごとくハンドサインで挨拶してきてくれることでした。 相変わらずのヤフオク自己流カスタムが続きましたが、この頃にはインジェクションが主流となり、マフラー交換1つをとってもコンピューターの書き換えが必要であったり、やたらとパーツが高かったり、些細な工賃もやたら高かったりと、貧しさが身に沁みすぎた私には痛みを伴うマシンでした。

 

KAWASAKI Z1

ハーレーの錆おとしがしんどくなってきたある日、たまたま立ち寄った近くの旧車専門店で、運命の出会いを果たしました。 20歳の頃から憧れ続けた「漢KAWASAKI」ボアアップ1000ccフルレストアの眩しいマシン 「Z900 super fore」 幸いハーレーが良い下取りになって、なんとかかんとか手に入れられる(ちょっと無理はしましたが)こととなりました。 2017年KawasakiからZ900RSが発売され、コロナ禍でリターンライダーのバイクブームが起こり、Z1の車体価格も大高騰し、今ではまず手が出せない価格になってしまいましたが、絶妙のタイミングでこのマシンを2016年に入手できました。 走るより磨く時間のほうが長い状態であったり、盗難にビクビクして遠出して停車することも怖い状態ではありますが、この身体が持つ限り乗り続けるマシンとして付き合っていきたいと思います。

 

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